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2021.11.01

その他

本日は紅茶の日

11月1日は紅茶の日です。

制定された由来は、
江戸時代-1782年12月9日のこと、伊勢の国の白子港(現・三重県鈴鹿市)から
廻船・神昌丸が出港しました。船頭は大黒屋光太夫。
船員総勢17名と米や木綿などを積み江戸に向かいました。

しかし出港から4日後、神昌丸は嵐に見舞われ遭難してしまいます。
光太夫らは約7カ月もの間漂流を続け、ロシア領の小さな島、アムチトカに上陸。
厳しい寒さの中、多くの仲間を失いながらもこの島で約4年を過ごし、帰国嘆願のために
シベリア本土のカムチャッカ半島へ渡りました。

しかし、当時の日本は鎖国状態。嘆願は却下されてしまいます。

それでも諦めず、帰国許可を求めてシベリアを「横断」します。
カムチャッカからオホーツク、シベリアの中心都市イルクーツク、
そして首都サンクトペテルブルクへ。
ペテルブルク到着は1791年2月のこと。
総移動距離は1万㎞を超え、アムチトカ漂着から実に8年もの歳月が過ぎていました。

光太夫がペテルブルクを目指した理由は、女帝エカテリーナ2世に直接帰国の許可を願い出るため。
その並々ならぬ苦労と努力の甲斐あって、ついに謁見が叶います。

彼らの境遇に深く同情した皇帝はすぐに帰国許可を与え、翌年、光太夫らはオホーツク港から ついに帰国の途についたのです。

しかし、帰国したのは光太夫のほか2名のみ。
他の仲間は、厳しい旅路の途中で命を落とすか、ロシアに帰化していったと伝えられています。



皇帝への謁見から帰国までの間、光太夫はロシア皇太子や貴族、政府高官から大変優遇されました。
様々な招待を受け、当時のロシア文化、社会を体験しています。
また、エカテリーナ2世の文化的事業に協力するなど、大きな足跡を残しているのです。
こうした貢献からか、ペテルブルクを離れる直前の1791年11月1日、
光太夫はエカテリーナ2世のお茶会に招かれ、日本人として初めて本格的な欧風紅茶(ティー・ウィズ・ミルク)を楽しんだといわれています。

このことから、日本紅茶協会は、この日を日本における「紅茶の日」と定めました。



決して帰国を諦めず、仲間を導きシベリア横断した奮闘ぶりと、ロシアにおける功績を考えれば、
皇帝のお茶会に招かれたというエピソードもごく自然なことに思われます。
ロシア滞在中想像もつかない苦難を味わった光太夫も、エカテリーナ2世をはじめとする
ロシアの人々の温かい心に触れ、優雅な宮廷の一室でおいしい紅茶とお菓子を楽しんだひとときは、
きっとおだやかな気持ちに満ちていたことでしょう。



今日はとっておきの茶葉とティーセット、もちろんお菓子も忘れずに…
きっと “ティータイムがある幸せ” を感じましょう😊